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那覇地方裁判所 平成6年(ワ)211号 判決

原告

比嘉江美子

比嘉桂子

比嘉尚子

右原告ら訴訟代理人弁護士

津覇正男

比嘉一清

被告

株式会社琉球新報社

右代表者代表取締役

親泊一郎

右被告訴訟代理人弁護士

池宮城紀夫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求める裁判

一  原告

(一)  被告は、原告らに対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する平成五年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  被告は、原告らに対し、別紙一記載の条件で謝罪広告を被告発行の琉球新報朝刊社会面に一回掲載せよ。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

(四)  仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二  事案の概要

本件は、被告が、平成五年一二月二八日、同日の被告会社発行の夕刊一面トップに「浦添へ那覇軍港を移設」「前市長と施設局とが密約」との見出しの下に前浦添市長比嘉昇(以下「昇」という。)が那覇防衛施設局長に対して口頭で那覇軍港を浦添へ移設することを密約した旨の記事を掲載したが、右記事は、従前、昇が市議会において、軍港の施設受入れを否定しており、事実に反するもので、あたかも昇が密約をした不誠実な政治家であったとの印象を与えるものであるとして、昇自身の死後の名誉権又は昇を信頼していた同人の妻子である原告らの名誉権を棄損したことの損害賠償及び謝罪広告を求めるというものである。

第三  争いのない事実及び争点

一  争いのない事実

(1)  原告比嘉江美子が昇の妻であり、原告比嘉桂子及び原告比嘉尚子が昇の子供であり、昇が前沖繩県浦添市長であったこと、昇が平成四年一二月二四日に死亡したこと、

(2)  被告が「琉球新報」という日刊新聞を発行しており、平成五年一二月二八日付けの夕刊一面トップに「浦添へ那覇軍港を移設」及び「前市長と施設局とが密約」との下に前浦添市長比嘉昇(以下「昇」という。)が那覇防衛施設局長に対して口頭で那覇軍港を浦添へ移設することを合意した旨の記事を掲載したこと、

(3)  平成三年一二月一二日開催の第七九回浦添市議会において、議員から那覇軍港を浦添地先に移転するとの情報があるが、真実かとの質問がなされた際に、昇は、これを明確に否定する答弁を行っていること

以上の事実は、当事者間に争いがない。

二  争点

(1)  昇と防衛施設局との密約が真実存在していたか及び仮に真実でなかった場合には、真実と信じるについて相当であったといえるか。

被告は、前市長である昇が那覇防衛施設局との間で、那覇軍港を浦添埠頭への移設を受け入れる代わりに、米軍の制限水域を撤廃して欲しいとの密約を取り交わしたらしいとの情報を入手し、その裏付けのため、現浦添市長宜保成幸に確認したところ、密約の存在を肯定した。また、後日、密約を記載したメモも入手しており、密約は存在したと主張する。

原告は、密約の存在を否定し、裏付け取材も不十分であったと主張する。

(2)  報道の表現の適切性について

見出し、書き出しの表現が断定的であり、また「密約」という言葉の使用が不適切で、許容される報道表現の範囲を逸脱していないか。

(3)  昇の名誉権の侵害について

死者である昇の名誉権は、不法行為の成立要件たる被侵害利益となりうるか、近親者の名誉権ないし名誉感情の侵害として捉えられるべきものか。

第四  当裁判所の判断

一  思うに、憲法で保障する表現行為も絶対ではなく、他人の名誉を棄損した場合には、不法行為として損害賠償の責に任じなければならないが、どのような表現行為が名誉棄損として不法行為になるかについては、表現行為の保障と名誉権の保障の両者の調和点を考えなければならない。その判断の枠組みとしては、民事上の不法行為たる名誉棄損については、その行為が公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたとき、あるいは、もし、右事実が真実であることが証明されなくとも、その行為者においてその事実を真実と信じるについて相当の理由があるときには、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解する(なお、最判昭和四一年六月二三日民集二〇巻五号一一一八頁は、事実を真実と信じるについて相当の理由があるときには、行為者の故意又は過失が欠けるとする。)。

そして、本件においては、甲第一号証によれば、報道の内容は、前浦添市長が那覇防衛施設局と那覇軍港移設について、密約を取り交わしていたという内容であることが認められ、右報道行為が、公共の利害に関する事実に係ることは明らかであり(原告及び被告もこの点は全く問題としていない)、また、後記認定のような取材の経過をたどり新聞報道したものであって、証人真喜志努の証言からも公益を図る目的で取材していたことが認められ、本件新聞報道が「もっぱら公益を図る目的で」なされたと認定することができる。他に右認定を左右する証拠はない。

二  そこで、争点(1)を判断する前提として、まず、取材の経過及びその結果について検討する。

1  乙第一号証、証人真喜志努の証言によれば、平成五年一二月初旬、浦添市内のレストランで同席した同市内に居住する者から「比嘉前浦添市長が、那覇防衛施設局と密約を交わしたらしい。那覇軍港の浦添埠頭への移設を受け入れる代わりに制限水域を撤廃してほしいとの内容のようだ」との情報を入手し、更に同月中旬ころ、同市内の別のレストランで同市内居住の別の者からも右情報と関連する情報を入手したこと(被告会社記者である真喜志努は、これらの人物が誰かについては、明らかにしないが、両人とも、そのような情報を知りうる立場にある人間であるという。)、この裏付けをとるべく、一二月中旬から下旬にかけて、那覇市の港湾部長である山田義浩、同次長である蔵下に電話にて数回取材したところ、軍港の浦添移設に関しては知らないと返答があったこと、同月一七日、密約問題の確認のために那覇防衛施設局を取材していた、被告会社政経部記者である慶田城健二から浦添支社に電話で、「浦添市側から七、八年前、浦添埠頭への那覇軍港受入れについて、那覇防衛施設局に非公式な話があった。これは密約を臭わすものだが、施設局ではその後軍港受入れの話は立ち消えになっていると記憶しているとして、密約は否定している」旨の連絡があったこと、結論的に密約の存在を否定しているものの浦添市側から那覇防衛施設局に非公式な話があったとの説明を重視して、裏付取材を継続することとし、同月二六日午後七時前に農協ホールにおいて現浦添市長の宜保成幸(以下「宜保」という。)に対して取材したことが認められる。

2(一)  そして、被告側は、真喜志努記者の取材に対して、現浦添市長である宜保が密約の存在を認め、裏付取材ができたので報道した旨を主張するので、この点について判断する。

乙第一号証及び真喜志努記者は、本公判廷において、宜保に対して平成五年一二月二六日午後七時前ころ、同人に対して、前市長時代に制限水域の件の条件付で那覇軍港を受け入れるということを聞いたことがあるかの質問に対して、宜保は、「どこで聞いてきたのか」と言ったものの、そのような約束があったことを明確に認めたこと、その面積を聞いたところ五〇ヘクタール要求されていると返答したこと、真喜志努からの、口頭の密約であれば、前市長時代のことなのでごまかせないのかとの質問に対しては、国は密約の内容をメモにして保管していること、制限水域の撤廃を要請した際にそのメモを見せられた旨を言っていたこと、国側が発言メモを楯に浦添市に那覇軍港の移設受入れを強く迫っていると話したこと、今後の対応については、那覇軍港の浦添埠頭移設には反対であること、国側から前市長の政策を踏襲すると表明したのではないかと言われたが、これを踏襲することはできない、軍港移設が強行されれば、成田以上の闘争になる旨の返答をしたと供述している。

これに対して、宜保は、本公判廷において、同日同時間ころ、農協ホールで真喜志記者に会ったことは認めているものの、同記者から「制限水域を解除する代わりに軍港を持ってくるという話を聞いていないか」と質問され、「聞いていない」と返答したこと、更に「比嘉市長と国との間で制限水域を撤廃する代わりに軍港を浦添市に移設するという話を聞いているがどうか」と聞かれ、「軍港移設の問題については聞いていないので、あったかもしれないが私としては反対である」と応対したこと、真喜志記者から「メモがあるのでは」と聞かれて「あるかもしれないし、ないかもしれない」と返答したこと、「西海岸開発には力を入れるが、移設はしない。移設すると成田以上の闘争になる」と答えたこと、更に、平成七年五月一一日に初めて、那覇軍港を浦添市に移設するという話を聞いた旨を供述している。

(二)  以上のとおり、証人真喜志努の証言と証人宜保成幸の証言とは、大幅に相違している。どちらの証言が信用できるかについて検討するに、乙第三号証(同号証は、真喜志記者が宜保に対して取材した際の取材メモであり、同メモの直前には、乙第五号証の記載があり、この内容を元にして乙第六号証の新聞記事が作成されたことが窺われること)は、取材メモであり、その内容は、証人真喜志努の供述を裏付ける結果となっているほか、同証人の証言内容が詳細であり、前後に矛盾する点は窺われない。

他方、証人宜保成幸の証言は、平成五年一二月二八日、記者会見を開催して、事実無根であり、被告から同月二七日に取材がなかった旨返答し、それに対して、真喜志努記者から同月二六日に会ったかどうかを質問され、同日には会ったと答えた旨、自身で供述しているところである。しかしながら、そうであるならば、始めから記者会見で、二六日に琉球新報の記者と会ったが、密約があったとは言っていない旨を言えばよいのであって、同証人のこの点の証言は不自然である(この点、証人真喜志努は、記者会見の席で、宜保成幸が二六日も誰とも会っていないと言ったが、平成六年三月一五日の市議会の答弁で、二六日に真喜志努に会ったことを認めるに至ったと証言しており、同証言の方がより信用性があると思われる)。

また、甲第一九号証ないし二三号及び乙第四号証によれば、浦添市と那覇防衛施設局とは、昭和六二年から、牧港補給基地の制限水域の解除と那覇軍港の移設について前向きに検討を重ねてきて、その結果、平成七年五月一一日の外務省と防衛施設庁との那覇軍港移転の発表に至ったものと推認することができ、宜保は、前記のとおり、平成七年五月一一日に初めて、防衛庁、外務省から浦添市に那覇軍港を移設するという話を聞いた旨を供述しているが、右証言も信用できない。

以上のように、両証言を比較対照すると、証人真喜志努の証言内容を事実と認めることができ、これに反する証人宜保成幸の証言は採用しない。

三  次に、以上を前提として、争点(1)について検討を加える。

1  「密約」とは、ひそかに約束を結ぶこと、また、その約束のこと(三省堂「大辞林」)又は、秘密の契約、条約のこと(岩波書店「広辞苑」)をいうが、「密約」の存在が認められたかどうかについて次に検討する。

証人真喜志努の証言によれば、浦添市長である宜保成幸を取材し、同人は、発言メモを見せられるまで密約のことは知らなかったと答えていることが認められ、宜保成幸は、密約の当事者そのものでなく、そのような約束があったと国側から示されたと述べるに止まっているのであり、本件報道後、被告が入手したとされる密約メモの内容(乙第一一号証、右書証は、「那覇港湾施設の移設に関する浦添市長との会談記録(要旨)二枚綴り」の写真コピーを被告代理人がワープロで打ち直したもので、被告代理人作成の写し自体を証拠請求されているが、右写真コピーと同一の内容であることについては、原告代理人立会いの下で当裁判所が確認していること及びその内容が、原告から提出されている甲第二〇号証と内容がほとんど一致しており、これらの事実からすると、その原本である「那覇港湾施設の移設に関する浦添市長との会談記録(要旨)二枚綴り」の存在及び成立を認定することができる。)によれば、「前回、施設部長が市長と会った際、すでに市の三役には話し、市議会の与党幹部とも相談するとのことだったが、その後の状況をうかがいたい」、「まず埋め立ててしまうことが大事だ。埋め立てが完了してから、米軍用地として処理する。埋め立て前に米軍のものということが分かれば、大問題となって埋め立てそのものが出来なくなる」内々米軍と計画を詰める必要がある」などの発言が存在し、那覇軍港移設の合意が既になされているかのようにもみえる。しかし、他方、乙第一一号証には、浦添市長の発言として「本当に那覇港湾を移設しなければならないものだろうか」「米軍の岸壁がそんなに大きいのであれば、考えなければならない」という部分も存在し、結局、浦添市長と那覇防衛施設局との間で前向きに、しかもかなり積極的に那覇軍港移設を検討していることが認められるものの、那覇軍港移設について、昇が那覇防衛施設局に対して、確定的な約束をしていたとまでは認定できない。甲第二一号証ないし二三号証も、これを裏付けるものといえよう。

また、外務省及び防衛施設庁は、平成七年五月一一日、日米合同委員会の下部機構である特別作業班が、平成六年一二月以来、検討してきた、那覇軍港を浦添埠頭内に移設されることを条件として、制限水域を返還することを内容とする勧告がなされた(乙第四号証)が、このことも、浦添市が那覇軍港を受け入れることを検討していたことを推認させる事実であるものの、昇が市長であった当時、密約が現実に存在していたかどうかについて断定する資料となるものでもない。

以上によれば、昇と那覇防衛施設局との間に、那覇軍港移設に関する密約があったことを直ちに認定することはできないというべきである。

2  次に、密約の存在を信じたことが相当であったかについて検討する。

本件のような新聞社が独自に取材して報道する、いわゆる調査報道にあたって、どの程度の裏付取材をつくせば十分といえるかについては、その報道内容の性質、裏付取材の容易性、取材の経過、それまでの取材によって把握している資料の確実性ないし信頼性などを総合考慮して判断されるべきである。そして、これを本件についてみると、本件で問題とされた「密約」は、外交問題にも絡む重大な政治問題であり、裏付取材は緻密に行われることが要請されるものの、その内容に鑑みると、一般論としては、そのような密約があったとしても、関係行政機関が報道機関等に対して公表を欲せず、取材してもその存在を否定するであろうことが予想さる秘匿性が高いもので、裏付取材がかなり困難であること、それまでに入手していた資料としては、取材源を明らかにできないとして、氏名等を一切公表していない二名の人物を除くと、現浦添市長である宜保の取材結果のみであるが、宜保は現浦添市長であって、「密約」が交わされ、それが何らかの拘束力を有するなら、密約の当事者であると評価することができること、また、那覇軍港の浦添埠頭への移設問題について責任ある地位にあることからすると、被告の入手した情報(宜保の取材結果)は信頼性が高いものというべきである。

そして、前記認定のような経過で、被告は情報を得て、現浦添市長である宜保に対して裏付取材をし、密約の存在を確認したものであって、被告が密約の存在を信じたことは相当であって、違法性に欠け、不法行為を構成しないというべきである。

この点、原告側は、密約の当事者である元那覇防衛施設局長であった弘法堂忠に対して確認をすべきであると主張するが、報道の観点からすれば、現時点においても右「密約」が効力があり、那覇軍港が浦添市に移設されるかどうかが最も重要なポイントであると考えられ、「元」那覇防衛施設局長の弘法堂忠よりも取材の対象として適切であると判断したことにも理由があること、そして、宜保に加えて弘法堂忠にも重ねて取材すべきであるとの主張については、前記のように本件の「密約」の内容からすると、秘匿性が高い事項といえるのであって、この種の事項について、宜保のような責任ある地位にある者が肯定したことは、それだけで、「密約」の存在について、極めて信用性を高める方向に働くといいうるのであって、宜保の他に弘法堂忠に対しても裏付け取材をしなければならないものではない。

四  次に、表現方法が適切であったかどうか(争点(2))について検討する。甲第一号証には、「浦添市と那覇防衛施設局との間で、「那覇軍港を浦添市に移設する」との密約が存在することが、琉球新報社の調べで二七日、明らかになった」という外、見出しにおいても、「前市長と施設局とが密約」と記載され、断定的表現を使用していることは否定できない。取材の結果からすれば、那覇防衛施設局に対する取材では、「密約」の存在が否定されていること(甲第一号証、証人真喜志努の証言)から、かような場合に、断定的な表現が相当といえるかが問題となる。しかしながら、前記認定のように、この種の秘匿性の高いと思われる「密約」の存否については、責任ある地位にある宜保がこれを肯定する発言をしている以上、他の関係機関が否定する発言をしたことをもって直ちに右発言の信用性が揺らぐものではなく、被告も、そのような取材の結果、「密約」が存在すると信じたのであるから、「密約」の存在を信じるについて、相当の理由があると認められる。したがって、「密約」が存在することを前提とする記事を報道することは表現の自由の範疇に属するものであって、その表現方法も不相当とはいえない。

五  以上によれば、その余を判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないから、請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用については、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官近藤昌昭)

別紙〈省略〉

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